バックパック考 其の弐

キスリングというだけで悲しい過去が走馬燈のように駆けめぐりました・・・eoです。

高校登山部に入って個人装備として買ったのは,キャラバンシューズと美津濃のシュラフかな・・
それでも高校生の小遣いで買えるようなシロモノではなく,親に頼み込んで買ってもらった。
その他の装備については部の共用備品を使うわけなんだけど,上級生になると個人装備を買うことでこれらの強制使用から逃れられるということで,私の同級生もアルバイトで稼いだ小遣いで最初に買った高額装備がマイ・ザックだったように記憶している。



その当時,世間はバックパッキングムーブメント花盛りの頃であって,山渓に掲載される山道具屋さん広告頁にも,大型ツアーパックはKELTYとかJANSPORTといったフルフレームパックから,小型はティアドロップ型のデイパックまで,それまでヨーロッパ製品一辺倒だった山道具に,アメリカ発の斬新なギヤが若い世代の需要に応え高価ながらその勢力を拡げつつあった。

我が部は,強権政治で部を統括していた先輩A部長が(私の記憶に拠れば)ガストン・レビュファとか,ヒマラヤジャイアンツを舞台にめきめき頭角を現していたラインホルト・メスナー,国内だと第Ⅱ次RCCとか山岳同志会が”鉄の時代” ”スーパーアルピニズム”を標榜して活躍していたためこれらに超傾倒していて,練習メニューからして”そんな空気”が満ち満ちていた。
その一方で,ヨセミテの黄金期を築いたロイヤル・ロビンス,トム・フロスト,イヴォン・シュイナードなど,後に,残置人口登攀器具を可能な限り積極的に廃して自然へのダメージを極力避ける”フリークライミング(クリーンクライミングとも)”なるムーブメントが興り,結果的に,欧州=古い,米国=新しいといった単純な線引き(実は,まったく乱暴な決めつけで間違いなのであるが・・)で,東洋の島国のまたその島の辺境にあった我が部内も「ヨーロッパ派」か「アメリカ派」か! といった実にしょうもない代理戦争が勃発していた。

1年のときは10名近く在籍した登山部同期も,春合宿(新歓)を経て夏合宿が終わる頃には4名にまで減り,2年に進級して以降,2人が欧州系ザック(Micthy:ミレー・ドメゾン?,Takuya:カリマー・ジョーブラウン),2人が米国系ザック(Yuji:アルミフレーム背負子・改,私:ジェンセンパックもどき)を購入し,思想分裂した。

ここで書き加えるまでもなく,キスリングはこの時に駆逐され,部の共同装備(体育大会参加用)も,美津濃社製のアタックザック(背面がカーブしたフレーム無しパック,地元のスポーツショップでは選択の余地無し)に取って変わった。 というわけで,僅か1年ちょっとであったが,私たち世代の血と汗を吸い取ったのを最後に,我が部の特大キスリング達は引退し? →後輩に経過確認したい B.KからA.K時代に入る。

特にYujiと私は,顧問のS先生(合宿山行は「磯足袋」でお決まりの筋金入りB.Kティーチャー)より,ザックを含めた装備から身だしなみに至るまで小言をいただいたような記憶がある。 S先生は,教え子のことを想ってか「安物買いの銭失い」という古今東西に通じる格言は教えてくれなかったけれども,小遣いは少ないが欲しいモノと妄想だけは満載だった少年の耳に届いたかどうか・・だ。 (この二人,スケートボード欲しさに山道具は中途半端だった)

その後,アメリカ発のアウターフレームバックパックは,日本の急峻な山岳地にはキスリング同様に不向きというレッテルを貼られ急速に衰退し,現在のインターナルフレームパックの黄金期が幕開けとなる・・・ つづく
by eohiuchinada | 2009-03-31 12:37 | テクニカル