2009年7月5日 銅山峰

四国の山は深い。

四国の脊梁を成す,西は石鎚から瓶が森を経て笹ヶ峰に至る石鎚山系。
ちち山を分かれとして更に中央構造線に沿って東へ延びる赤石山系。
山岳信仰の聖地,石鎚山。 なだらかな稜線を持つ女性的な山,瓶が森。
そして,鉱山をもたらしたマグマ貫入で熱変成をした硬い火成岩が浸食を受け,アルプス的景観を持つ東赤石。
峰々は,尾根で繋がっているが,山はひとつひとつの別世界だ。

私のヤマを育てたのは故郷の並外れた,神秘の王国ともいえるこれら峰々であり,ここが私のヤマの原点なのだ。

ミズゴケ
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カラマツ樹林帯の下草に敷き詰められた緑の絨毯。
沢沿いに生えるものはゆうに1m近くに成長することを私達は知っている。
園芸店で保水材として売られている乾燥ミズゴケは,コレを乾かしたもの。
枯れてもスポンジのように水を吸うが,生きているミズゴケの保水力は山全体を緑のダムにする。


実は,銅山峰という単独の山(ピーク)は存在しない。
古来より中央政権への通商ルートであった瀬戸内側から観て,衝立のように2千㍍級の山岳が立ちはだかる脊梁山脈の南側に露頭していた”あかがね(銅鉱石が酸化したもの)”を山師が発見したことを起源とする別子銅山。
瀬戸内へ運び出すルートの開拓が,生産量を上げる最大の課題でもあった。
江戸末期,銅山越えと呼ばれる鞍部(周辺で最も低い箇所=峠)を山中に暮らす数千人の中持人夫(女性が多かった)が粗鋼を背負ってリレー式に運んだという。 やがて牛車,トンネルを抜いてトロッコ,更に標高が低い位置に長大なトンネルを抜き電気軌道へと輸送手段も近代化した。
恐らくは日本一通行量の多い,峠道だったに違いない。


銅山越
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船の底のように窪んだ地形であったことから,舟窪と呼ばれていたようだ。
今は石組みに囲まれたお地蔵様がひっそりと佇み,風の通り抜ける道を見つめている。

かつて南側の山中には,数万人が暮らす鉱山都市が殷賑を誇っていたという。
銅鉱石を粗銅に焼くために大量の薪炭を必要としたため,周辺の古代原生林はことごとく燃料として伐採され,明治の近代精錬(石炭)に移行するまで「薪炭組」は遙か遠く高知県境まで薪を求めて伐採をすすめた。 また,粗銅の焙焼により発生する酸性ガスにより銅山越周辺の山は一木一草を残さないガレ山となった。

私達が高校生だった30年前,この辺りのコルから南面一帯は,ザレた浮き石が一面に広がる惑星のような場所であった。
その痩せきった土地に根付いていたのが,国内南限のツガザクラ。
花季は5~6月で,名前の通り薄桜色の可憐な花を咲かせる。
銅山峰ヒュッテ管理人,伊藤さんの呼びかけにより手厚く保護されてきたが煙害から立ち直った本来の植生が貴重な高山植物を駆逐しつつあり,辺り一面に咲き乱れるツガザクラを観た私達の記憶は既に無くなりつつあった。

ツガザクラ
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コメツツジ
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僅かに昔の佇まいを残す保護地区で何を想う・・・
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北方向の瀬戸内側は雲海の下に沈んでいる
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昨日から生憎のガス模様で展望は望めない。
南から這い上がり,生まれるガスの流れを飽くことなく眺めた。
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九州鹿児島の霧島山同様,痩せた土地で最初に繁栄する木はツツジ科のようだ。
足下には花期を待つウスユキソウ(エーデルワイスの仲間)がいた。
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地方の静かな山としては驚くほど整備された縦走路は,かつての輸送路,牛車道の名残だ。
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江戸末期,既にはげ山同然となった峰々は,空中都市に大きな水害をもたらし,大火事にも見舞われたと伝え聞く。
これら多くの天災で無くなった人々を慰霊する目的で建設された”蘭塔場(らんとうば)”


じっと目を凝らし待つとガスの切れ間にその姿を見せてくれた。
センチメンタル・ジャーニーの一期一会
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明治に入り,鉱山は海を目指して深く掘り下げられ,精錬工場も近代化とともに海を目指した。
人々が去った山にはかつての都市が遺跡として名残を留める。
薪炭用の伐採と煙害のダブルパンチで死に絶えつつあった峰を復旧したのも薪炭組(現:住友林業)
痩せた土地に強いカラマツの苗木を信州から移植し,植林に成功したのは昭和初期。
ヒュッテ周辺には,これも国内の南限とされるコケモモが,実を付けていた。


コケモモ
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さあ,いよいよ旅も終わり・・・
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近いうちに,また来るよ。
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みんな,お疲れ様でした。
そしてありがとう。 たくさん元気をいただきました,感謝です(^_^)v
by eohiuchinada | 2009-07-07 00:24 | ハイキング